「ロジスティクス戦略を担当」(私の履歴書ep2)
エピソード2は、物流企画課で過ごした5年間の経験を紹介します。
ものすごく一所懸命に働いて、ものすごくたくさん勉強して、ものすごく多くの達成感を得ることができた5年間でした。
物流システムの再構築
配達の仕事を卒業して本社に異動になった訳ですが、その異動先の部署名は「物流部 物流企画課」でした。
会社が21世紀に向けた長期の経営構想を策定し、その最優先事項に掲げられたのが「ロジスティクス戦略(物流システムの再構築)」で、これまでの営業と物流の仕組みを抜本的に改革することでした。
その物流ロジスティクス戦略とは、以下の課題を同時に解決することでした。
- 物流サービス水準の向上を図り、営業を側面から支援すること。
- 機器武装・情報武装した物流センターの建設により、配送トラックへの積み込みを自動化すること。そしてそれにより配達担当者の肉体的負荷を軽減すること。
- 物流の生産性を向上させ、コストを低減すること。
このために、物流部が新設され、その司令塔の役割を果たすのが物流企画課でした。
ミッションにワクワク
そんな高尚なミッションを背負った物流企画課には、さぞ精鋭のスタッフが揃うのだろうと思っていたところ、メンバーは、課長のYさん、同い年のTさん、そして僕の3人でした。
Tさんは京都の営業所で僕と同じ配達の業務に就いていた人で、僕同様に戦略スタッフどころか事務スタッフとしての仕事の経験もありません。
一方、Yさんはこれまでに会社のあらゆる仕組み構築を進めてきた人で、「商物流システムの再構築」を長期経営構想での最優先戦略に仕立てたのもYさんだったと聞きました。
つまりYさんはすごい人だったのですが、その部下に配達の経験しかないTさんと僕が付いた理由は全くの不明でした。
ただ、僕らに与えられた壮大なミッションにワクワク感が止まらず、「絶対にやり切ってやる」との思いを強めたものでした。
ちなみに、Yさんは、その後順調に昇進を重ねて、最終的にはコカ・コーラボトラーズジャパン株式会社の社長に就任されました。
物流企画課でたくさん学んだ
そのYさんからは、最初の半年は何も教えてもらえませんでした。
Yさんからは「忙しいので直接の指導はしない」ということで、自分たちで考え、要なことを見て・聞いて・読んで学べということだったろうと思います。
ただ、これだけは付け加えくれました。
- 配達の大変さを知っているものしか、この仕事(物流システムの再構築)はできない。
- しかし、お前たちは会社の仕組みを何も知らない。
- 半年の時間をやるので、この間で徹底的に会社の仕組みや、世間の最先端の物流システムを勉強してこい。
Yさんのこの考えのおかげで、当時の最先端の物流センターを見学しに全国各地に行ったり、色んなセミナーを受講したり、多くの学ぶ機会と経験をさせてもらいました。
この物流システムの再構築には大きな投資を必要としたので、その投資効果(ROI)の検証のために経理部に出入りしていたことで、経営計数を学ぶことが出来ました。
工場にも頻繁に出入りしたので、製造過程や機械のこと等も学ばせてもらいました。
Yさんに育てて頂いた
当時42歳くらいだったYさんですが、何でもよく知っていて、理論に長け、資料作りも説明もうまく、上位者の部長や取締役クラスの方も一目置くエリートそのものでしたが、自分で見たもの、経験したものしか信用しないという、徹底した現場主義者でもありました。
Yさんからの直接の指導は少なかったけど、Yさんの背中から本当にたくさんのことを教わりました。
僕は、Yさんと物流企画課で4年間の上司・部下の関係でしたが、その後も断続的に、経営企画部長(Yさん)と同部部長代理(僕)、常務取締役(Yさん)と人事部部長代理(僕)、そして社長(Yさん)と人事部長(僕)という関係が続きました。
僕がコカ・コーラで過ごしたのは20年ですが、実にその半分の10年間はYさんと上司・部下という関係でいられたことになります。
厳しかったし、怒られて立たされた(ホントです!笑)こともありました。
しかし、このYさんとの出会いが無かったら、今の僕は無かったと思っています。
それほど、感謝し、心からの尊敬をしています。
もう引退され、今は九州で余生を送っておられるのですが、いつまでも長生きして、また僕を叱咤激励して頂きたいと思います。
阪神・淡路大震災で効果を発揮
さて、この物流部 物流企画課で取り組んだ物流システムの再構築の再構築ですが、様々な紆余曲折がありました。
しかし、経営者の支持、社内の協力、そして社外の協力企業の皆さまのご尽力で、当初の計画を進めていくことができました。
「物流システムの再構築プロジェクト」で最初に取り組んだのは、再編が必要だった北近畿エリアの物流を統合する目的で建設した「和田山物流センター」(兵庫県朝来市)でした。
そして、この和田山センターが1995年に発生した「阪神・淡路大震災」のときに大きな力を発揮してくれることになりました。
「阪神・淡路大震災」では、主力の京都工場から神戸方面への物流経路が寸断されるという想定外の事態に見舞われました。
しかし、「和田山物流センター」を中継基地として用いることで、被災地への製品供給を止めることはありませんでした。
北近畿の物流を統合できる場所についてはシミュレーションを繰り返し、その結果、和田山に新たな土地を求めたのは、国道9号と国道312号が交差する交通の要衝であり、北近畿エリアの中では比較的雪の影響が少ない場所であったからでした。
この時のことは、経済紙(たしか日経BP)で採り上げられ、会社のロジスティクス戦略が正しかったことを証明してくれました。
ロジスティクス大賞を受賞
そして、この翌年には和田山物流センターの5倍近い規模になる「千里丘物流センター」を建設しました。
話は前後するのですが、配達担当者の負荷軽減を実現するために取り組んだことは、積み込み作業の自動化でした。
配送コースごとに、積み込む製品は異なりますし、1回につき300ケースにのぼります。
この積み込みには時間も労力もかかりますが、大きさも形状も重さも異なる製品を自動でトラックに積み込むことで、80分以上の作業が数分に短縮され、肉体的負荷も大きく軽減されます。
このために、エンジニアリング会社やマテハン(マテリアルハンドリング)メーカーさんと共同で機器を開発してきました。
そして、このシステムが完成した時、取り組んできた物流システムの再構築プロジェクトが評価され「日本ロジスティクス大賞」という国内の物流業界で最高権威の賞を頂けることになりました。
このあと、まだ物流システムの再構築プロジェクトの集大成として、千里丘物流センターの3倍規模になる工場隣接の物流センター「京都工場ロジスティクスセンター」の建設に着手する計画だったのですが、Yさんは僕とTさんにその仕事を預けてマーケティング部長に異動されました。
さらにその1年後に僕は、「アメリカ留学」という異動命令を受けることとなりました。
(つづく)
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