経営統合(私の履歴書ep10)
話の舞台は近畿コカ・コーラからコカ・コーラウエスト株式会社に移っていきます。
グランドスラマーO部長の下で
人事部での生活が3年目になった時、人事部長がOさんへと交代となりました。
Oさんは、労働組合の中央執行委員長から人事部に異動してこられて、約1年で部長へ昇格されることとなりました。
Oさんは、労働組合では専従役員として13年間を過ごし、この間に「書記次長」「書記長」「副委員長」「委員長」を歴任してこられました。
ご本人曰く「おれは労働界のグランドスラムを達成した」と笑っておられましたが、凄い経歴だと思います。
さらに凄いのは、労働組合でこれだけの経験をしてきた人が人事部長になったことです。
この時の会社(近畿コカ・コーラ)のバランス感覚には舌を巻く思いでした。
私は、O人事部長の下で、人事・人材育成担当部長代理として、決意新たに頑張っていこうと思っていた矢先に衝撃の情報が飛び込んできました。
その衝撃の情報とは、近畿コカ・コーラボトリングは、業務提携の関係にあったコカ・コーラウエストジャパンと経営統合するということでした。
経営統合の背景(市場の変化)
その経営統合の話を具体的に進めていく前に、その背景を先に紹介したいと思います。
現在、日本国内のコカ・コーラボトラーは、最大規模のコカ・コーラボトラーズジャパンを筆頭に5社ありますが、私が近畿コカ・コーラに就職した当時(1990年)は、なんと17ボトラー社がありました。
以下の図は、1990年から現在までのコカ・コーラボトラーの統合の履歴です。(濃いブルーは私が勤務した会社です)
コカ・コーラボトラーは、それぞれが別資本の会社で、地域に密着した事業活動を行えることが強みだったのですが、その強みが少しずつ損なわれてきたのは、時代の流れの中で小売店のチェーン店化が進んできたことでした。
当時、コカ・コーラを販売して下さる小売店は、地域の個人経営の酒販店・パン屋さん・食料品店さんなどが主力でしたから、この地域密着型のボトラーシステムが一定の効果を生んでいたことは間違いありません。
しかし、時代の流れの中でコンビニや大手スーパーが台頭し、同時に個人経営の酒販店・パン屋さん・食料品さんなどは次々に姿を消していきました。コンビニや大手スーパーは全国区ですから、この流れの中で、地域密着型のボトラーの優位性は徐々に低下していきます。
このような流れの中で、全国区の小売店への営業を担う「コカ・コーラナショナルセールス(現コカ・コーラカスタマーマーケティング)株式会社」が設立されたり、製品供給の安定化を目指して「コカ・コーラナショナルビバレッジ株式会社」が設立されるなど、コカ・コーラシステム内には組織再編が加速化していきました。
経営統合の背景(アンカーボトラー)
加えてこの頃、コカ・コーラの総本山・The Coca-Cola Companyでは、「アンカーボトラー構想」を掲げていました。
コカ・コーラボトラーはそれぞれ独立した事業体で、The Coca-Cola Companyからコカ・コーラ社飲料の製造および販売の許可を受けて事業活動をする企業です。
アンカーボトラーとは、このボトラーの中でもThe Coca-Cola Companyと特別な関係をもつボトラーのことで、The Coca-Cola Companyと資本関係を持ち、その戦略的パートナーとして認定された広域コカ・コーラボトラーのことを言います。
日本では1999年に、当時の北九州コカ・コーラ(福岡、佐賀、長崎)と山陽コカ・コーラ(中国5県)とが合併して「コカ・コーラウエストジャパン株式会社(CCWJ)」が誕生し、アンカーボトラーに認定されました。
そして、近畿コカ・コーラがCCWJと経営統合することは、日本におけるアンカーボトラーの領域がさらに広がることになります。
このように、コカ・コーラシステムが再編を進めていく背景には、かつては競合を寄せ付けない程だったシェアに翳りが見え、2位のサントリーさんに大きく追い上げられているという危機感があったように思います。
企業文化は異なる2社
一方、CCWJが誕生する以前から、近畿コカ・コーラと中京コカ・コーラ(愛知、三重、岐阜)とは、同じ三菱系の資本が入った会社同士として親しいお付き合いがあり、製造や物流の分野では様々な協力関係にありました。
私も物流部時代に中京コカとのコラボプロジェクトに参加しておりましたし、秘書室時代にもI社長と中京コカ社のF社長が親しくお付き合いしている姿を間近で見ていたので、合併するなら中京コカさんと思いこんでいましたが、その予想は見事に外れてしましました。
一方、近畿コカ・コーラとCCWJとは地域を隣接するボトラー同士ですので、ここでも営業や製造の分野で協力し合える関係にありました。
また、近畿コカ・コーラの東南側(奈良・和歌山・滋賀)に隣接する、三笠コカ・コーラを共同で出資し、両社の傘下に収める関係でしたので、近畿コカ・コーラとCCWJの経営統合は自然な流れだったのかもしれません。
ただ、近畿コカ・コーラとCCWJとは、企業風土や文化、仕事の進め方なども含めて異なる点が多いと思っておりましたから、この経営統合が発表されたときは、本当に青天の霹靂とも言える驚きでした。
CCWH発足
この経営統合は、CCWJと近畿コカ・コーラボトリングが持ち株会社(コカ・コーラウエストホールディングス株式会社=CCWH)を作り、その傘下にCCWJ、近畿コカ・コーラ、三笠コカ・コーラの3社が入る形となりました。
CCWHは、本社を福岡と大阪の2ヶ所に置くこととなり、福岡が管理系(総務・人事・財務など)、大阪が営業系の機能を担当することと決まりました。
またCCWHの発足に向けて、様々な検討分科会が発足し、近畿コカ・コーラからはO部長と私が人事分科会に参画することとなりました。
そして紆余曲折の結果、人事機能は、CCWH発足時においては各事業会社に残し、CCWHでは将来の人事機能や制度統合に向けての準備室のみ置くこととなりました。
人事戦略の指揮を執る
その準備室の名称は「人事企画チーム」で、私がチームマネジャーに就任することとなりました。
OさんはCCWH発足と同時に近畿コカ・コーラの人事部を離れ、CCWHに新設されるCSR部門の部門長(グループマネジャー)に就任することになりました。
近畿コカ・コーラの人事部は、トップとナンバー2とが同時に離脱する、ある意味では異常事態となってしまいました。
一方、僕が担当するCCWH人事企画チームとは、課レベルの部署なのですが、事実上は、CCWJや近畿コカなどの事業会社の人事部を指揮する立場でしたので、また大きな仕事に携われることにワクワク感が止まりませんでした。
そして九州へ
将来の人事制度統合に向けての準備室を任せられたことは純粋に嬉しかったものの、住み慣れた大阪を離れて、初めての単身赴任生活には大きな不安を感じていました。
さらに、同じコカ・コーラを販売する会社であっても、CCWJと近畿コカ・コーラとでは、風土も、文化も、使う言葉さえも全く異なりました。
また、キャナルシティ博多内にあるビジネスセンタービル内に設けられたCCWH福岡本社に勤務する人の8割はCCWJ出身の方でしたから、自分が転職者のように感じたりもしました。
そんなこともストレスに感じながら、九州での生活が始まりました。
(つづく)
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